三笠を知る
三笠一億年のモノ語り
1億年にもおよぶ歴史によって紡がれてきた三笠市。
そのストーリーと、見どころをご案内します。
アンモナイトが泳ぐ海の時代から、
石炭となった湿地の時代へ
約1億年前、恐竜が陸上の王者として君臨していた頃、三笠はまだ海の底に位置していました。
三笠の市街地から東へ約14㎞、北海道初の本格的なダムとして1957年に完成した桂沢ダムの周辺では、約1億年前の海の底につもった地層を見ることができます。
特に、ダムの堤体部分に使用されたコンクリート用骨材が切り出された原石山では、アンモナイトをはじめ様々な生物の化石が産出し、1億年前の海の生き物たちに出会う事ができます。
そして約6000~4000万年前、アンモナイトが絶滅して以降、三笠は海の底から陸上へと変わっていきました。
三笠市立博物館裏手に整備された野外博物館エリアでは、約1億年前の地層から5000万年前の地層へたったひとまたぎで飛び越えることができる場所があります。
なぜ、約1億年前の海の底につもった地層のとなりに、約5000万年前の川や湿地(陸上)の地層が接しているのでしょう?
野外博物館エリアでは、その謎を解くダイナミックな地球の営みを感じることができます。
そして、約5000万年前の地層からは、広大な湿地に生育していた植物が地層の中に埋もれ、高い温度と圧力によってできた燃える石「石炭」が形成されました。
日本の近代化産業を支えた
石炭の発見から、大炭鉱時代へ
約150年前の1868年、江戸時代から明治時代へ変わった年に、三笠にとって大きな出来事が起こりました。石炭の発見です。
この発見を機に、三笠の市街地から南東へ約5㎞、石炭の発見から12年後の1879年に、北海道初の近代炭鉱となる幌内炭鉱が開鉱しました。
さらに、この幌内炭鉱から港のある小樽まで、石炭を輸送するための鉄道も敷設されることになり、1882年に北海道初の産業鉄道となる幌内鉄道が完成しました。
大正から昭和にかけて機械化が進み、大規模に石炭が採掘されるようになると、三笠の人口は6万人を超えました。
大量の物資や人を運ぶことができる大型船や鉄道、さらには街路灯やランプなどの灯りにまで使われた良質な石炭を大量に運び出すことができた三笠には、各地から人々が集い、次々と炭鉱が設置されました。
また、機械化が進んだことで、高圧の電気を炭鉱内の機械に使用できるようにするための変電所や、地下深くから石炭を運び上げるための立坑櫓などが建設されていきました。
旧奔別炭鉱では当時、東洋一と呼ばれた立坑櫓を現在でも見る事ができます。
そして、石炭から石油へとエネルギーが変わった現在、三笠では、1億年の大地の歴史が作ってくれたモノ=“地域の宝”をしっかりと守り、次の世代へと紡いでいく活動を行っています。
“地域の宝”を語り継ぎ、
未来へと紡いでいくカタチ
2013年、三笠市はアンモナイト化石や炭鉱遺産を始めとした“地域の宝”の価値と、それらを守り(保護・保全活動)、伝え(教育活動)、楽しむ(ツーリズム活動)などが評価され「日本ジオパーク」に認定されました。
これら地域の宝を語り継ぎ、未来へ紡いでいくため、三笠市は特に次の世代を担う子どもたちの教育に力を入れています。
三笠ジオパークでは、夏季を中心に子どもたちも楽しめるジオツアーを開催しているほか、教育旅行にも力を入れ、年々その利用者数は増加しています。
また、北海道内の公立高校では初となる食物調理科の単科校を設置、「食」への理解を深める教育と、高校生の活躍の場として「三笠高校生レストラン MIKASA COOKING ESSOR(エソール)」を2018年にオープン。三笠の地で学んだ子どもたちが調理する三笠の大地の恵みを味わうことができます。
かつて炭鉱まちとして栄え、米やいもなどの農作物を栽培してきた三笠市では、2000年以降、新たな大地の恵みを育む担い手たちが活躍の場を広げています。
その代表的な農作物が、葡萄栽培とワイナリーです。
水を一切使用せず葡萄のみから醸造されるワインは、1億年前からの大地の味わいと、毎年移り変わる雨と風の様子を色濃く映し出してくれます。
大地の恵みを育む人、地域で学び食を届ける人、これらの物語を伝える人など、「三笠一億年のモノ語り」を紡いでいく様々なカタチがここにあります。
また、三笠では、これらのモノ語りを感じられる見どころを「ジオサイト」として指定しています。
ぜひ、実際に足を運んでみませんか?